根暗で人生絶望した私の世界線が切り替わった話

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

私は田舎町で生まれ育った。

今までの人生について話す。

 

2003年~2009年 公立小学校   入学・卒業

2009年~2012年 公立中学校   入学・卒業

2012年~2015年 公立高校    入学・卒業

2015年~2019年 地元国立大学  入学・卒業

2019年~2021年 地元国立大学院 入学・卒業

2021年~    現在、新社会人として某企業で奮闘中   以上。

 

就職活動で何度も書いた履歴書。

なんて単純でありきたりで王道で安定した人生だろう。

おまけに実家は祖父が建ててくれた一軒家で両親健在。一人っ子。普通に大事に大事に育ててもらった。

 

ここまで書いて思ったこと。

こいつは環境に恵まれて何の苦労もせずに育ったんだろうなあ。

 

.......いやまて。

これお前の履歴書だぞ。

 

この人生が何の苦労もない!?平凡で!??のほほんで幸せな人生?????

(それ勝手なお前の勝手な印象。。。。)

 

だとしたら世の中はもう終わりだ。絶望しかないこんな世界。。。(闇落ち)

 

子供のころはよかった。特に何も考えず、友達と楽しく毎日過ごせていた。

ただ、私には最大の問題があった。

 

自分の意志が全くない。

 

「お前は大きくなったら〇〇高校(市で偏差値一番)に行って〇〇大学(県で偏差値一番)にいくんだよ」

齢一桁の時に冗談半分で言われた母や親戚からの言葉。

当時はふーーーーんくらいに思っていた私の人生に大きく影響することになる。

 

学校では優等生。勉強も運動もそこそこできたし、先生からもいい言葉をもらうことが多かった。

成績は3段階中オール3だったこともある。

宿題をやってこないなんてありえない。

宿題を忘れなくて褒められる意味が分からない。

やってこない子は将来まともな人間になれず、生きていけないだろう。

あいつやばい。

 

そんなことを思って同級生をどこか見下していた。

先生に好まれる人間が立派で、校則を守る人間は問答無用で偉い。

そして勉強が得意な自分は将来なんにだってなれる。本気でそう思っていた。

(たかだか地元の小中学校でがり勉してそこそこ出来たからって思いあがるなバカタレ)

 

思考停止。

大人から褒められる人は偉い。なんでかなんて考えた事もない。

将来の夢はパン屋さん。なんとなくそれっぽいでしょ?

自分がどうしたいとか何がやりたいとかそんなの知らない。

 

そして、高校でその価値観は崩れ去った。

高校受験の燃え尽き症候群。市内で一番偏差値の高い学校に入るという小さな狭い目標を死ぬ気で達成した私は、燃え尽きた。

 

「高校に入ったら多分勉強できなくなるからあんまり期待しないで」

 

受験合格後、母に言った言葉。母はあんたは赤点とかとる前に何とかすると思うから大丈夫とか言ってくれたけどこれが予言になった。

 

入学後はなんとなく、疲れたくないから動くことの少ない部活を選んだ。

テストは時間がたつにつれて赤点が増えていった。

家に帰ればユーチューブや漫画、睡眠を享受した。

 

そして、うすうす感じていた「人と関わることが苦手」という私の最大の弱点が猛威を振るい始めた。

 

実は私の通っていた中学校はほぼ全員小学校からの持ち上がり、何ならその半分近くは保育園から同じメンツだった。

高校に入り、初めて60人ほどで構成された小さな世界の外に出た。

どうしたらいいかわからなかった。

 

何を話せばいい。誰と話せばいい。何をどこまで知ってればいい。どんな声で、どんな表情で、どんな話題を。。。

 

考えれば考えるほどわからなくなった。

こんなでも一緒にいてくれる友人は数人いたけど、今日はまともに話せるだろうか、相手に不快に思われない立ち振る舞いができるだろうかと毎日ひやひやしながら登校した。

 

苦しかった。

今思えばとてもありきたりな悩みだ。

生きていた世界が狭すぎた。関わる人間が少なすぎた。圧倒的経験不足。

 

自分の抱える悩みがありきたりだということも気づけないまま、思考はよからぬ方向へどんどん落ちていく。

 

とにかく目立つことのないように。

私さえいなければ、このクラスの歯車はもっと円滑に回っていたのでは。

私がいなければ滞りなくうまくいくことがたくさんあるんじゃないか。

こんなポンコツ、生きている意味はあるのか。

こんなに私が苦しんでも誰もしらない。迷惑になるだけ。

私が苦しんでも喜んでも悲しんでも何にも影響がないんじゃないか?

だったら苦しい思いをしてまで頑張ってまで生きる意味は?

.........しにたい。

 

どんどん沼にはまっていく。ずぶずぶと。もがけばもがくほど抜け出せない。

思考はどんどん単純に明確になげやりになる。

しにたい。どうでもいい。どうにでもなれ。

 

でも死ねなかった。どうしようもなく臆病だった。

不安で不安でどうしようもないときは腕を切った。服で隠れて周りにはばれにくいだろうと思ったから。

そんなところを切っても何にもならないのに。

無意識に眉毛も引きちぎり、つるんときれいなおでこを保ち続けた。

無駄に悲しみながら無駄なことをする。そしてもっと悲しくなって、その悲しみも無駄だと自覚する。

完全な悪循環。

 

地獄みたいな悪循環のなか、毎日なんとなく流し続けたユーチューブからある曲が流れた。

 

「ハロ/ハワユ」「ケッペキショウ」「アイロニ」

 

いずれも当時はやり始めていたボーカロイドという文化が生んだ曲だ。

 

どの順番で聞いたかは忘れてしまった。

ただ、「そらる」という名前で活動していたその人の儚く繊細で、安心するような声ととても苦しくて言い表せなかった自分の気持ちを代弁してくれたような歌詞にとても救われた。

 

自分が変わったわけではない。

訳が分からなかった気持ちを見ず知らずの誰かが代わりに表現してくれただけ。

こんな素敵な音楽を作る人がいるんだ。

何年も何年も沈んでいた気持ちをたった4分程度の歌が少しだけ救い上げてくれた。

これは紛れもなくインターネットの力だ。

 

気持ちを言葉にすることがこんなにも救いになると知った。

そして、私の気持ちを代弁してくれたということは、この歌を作った人も、この歌に共感して歌ってみたそらるさんも、同じような悩みを持ったことがあるのだろう。

こんなにすごい人達でも悩むことがあるなら私が多少悩むのは当たり前じゃないか。

 

そしてわかったこと。

 

今まで生きてきた世界は狭すぎた。

もっといろんな曲を知りたい。いろんな事を知りたい。いろんな人と話がしてみたい。

 

初めて、自分でやりたいと思うことができた。

初めて、自分の意志を持った。

 

インターネットが知らない世界を見せてくれた。

わくわくした。

 

そして、大学受験はぎりぎり何とか巻き返し合格。

 

大学では初めてのバイトに他県からの友達に、違う世界で生きてきた人と関わる機会が増えた。

相変わらず人と関わるのは苦手だったけど、高校時代の自分だったら絶対にやらないだろうという事も半ば無理やり挑戦してみた。

自分の悩みのすべては世界が狭すぎた事(経験不足)が原因だと仮定して、とにかく色んな所に参加した。

やってみた。

苦手だった本も読むようになった。

結果わかったこと。

 

 

やっぱり人と関わるのは苦手だ。

 

 

社会人になったいまでも人と話すのは緊張するし、どんな声でどんな話をしたらいいのかわからない。

 

だけど前ほど悲観的ではない。

思考停止で身動き取れなかったときの自分を知っているから、よく頑張ったと思う。

それでもできないなら仕方がない。

 

それに、経験値を上げるためにやった事は無駄じゃなかった。

 

色んな考え方を知ることができた。

 

成功者や失敗した人、普通の人。

皆それぞれ色んな考え方を持っていた。

 

考え方を知れば知るほど、気持ちは楽になっていった。

 

世界を広くするという事は色んな考え方を知ることじゃないかと思う。

 

今でも後ろ向きな思考の癖は残っている。

でも、思考の悪循環を断ち切る考え方を今の私は知っている。

 

これは私の人生最大の財産だ。

 

平凡な人生のどん底で聞いたあの曲たち。

インターネットが教えてくれた新しい世界。

あの出会いがなければ今頃は....

 

当時の私と同じような悩みを抱える中高生は多いのではないだろうか。

インターネットの普及が加速した現代を生きる学生はとっくに色んな考え方を知り、そんな悩みは乗り越えているだろうか。

 

きっと時代が変われば新たな悩みの種が生まれ、今の学生には今の学生にしかわからない悩みがあると思う。

 

私自身も年齢を重ねるごとに色んな悩みに遭遇することだろう。

 

インターネットが普及している。

これは大きな味方だ。

SNSなどの発信者も増えている。

本や作品を出版するハードルも昔より下がっていると聞く。

 

本当に色んな考えに、生き方に触れられる時代になった。

これは、人が豊かに生きていくための大きな利点だと思う。

 

まだまだ知らないことがたくさんある。知りたいことがたくさんある。

世界を広げよう。

それぞれが幸せな人生を送れるように。

 

 

初めてブログを書いてみました。

つたない文章ですが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。